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趣ある石段を上った所に方丈と庫裏が建っていました。 風情をかもす龍安寺垣と石段
方丈の南庭が、石と砂そして苔だけで構成されている枯山水の名園・<別名・虎の子渡し>です。 虎の子渡しの庭
石組みのまわりに苔を敷いただけの簡素な構成で、禅の境地を表現していると云われていますよ。 そして、方丈の縁側から石の数を数えると13〜14個しか見えないように作庭(1群の三尊の石1個あるいは、3群の虎の子1個などが見えにくいのです)。 虎の子渡し→ 漢の江陵で太守を慕い、人々はもとより親虎までが子虎を隠して大江を渡ったという故事にたとえられて、虎の子渡しの庭とも呼ばれています。 石をたどると「心」という字が描けます。 枝垂桜とモダンな龍安寺虎の子渡しの石庭
下記はお寺の説明パンフです。 「禅では自己が「三昧」「無」になりきることによって自他一如の世界を自覚し、その自覚を通して出てくるものは、山川草木ことごとく神、仏であるとするが、この庭はそうした禅の極致を表現した永遠に新しい庭といわれ、時間・空間を越えて、静かに心眼をひらき自問、自答するにふさわしい庭といえよう」。 作庭者は室町時代の相阿弥とも伝えられていますが、分っていません。 細川政元が龍安寺を再興した1499年ころに造られた可能性もありますね。 政元は、足利義澄を11代将軍にして権勢をふるいましたが、奇行の多かった人ともされています。 2群の石組みの右の石裏には、阿波・徳島“小太郎”“清(彦?)二郎”と刻まれています。 砂を雲海とすれば、石は山の峰のように。
方丈西側庭園・雲龍の庭
1588年(天正16)2月、豊臣秀吉が、龍安寺の石庭の西北隅にあった糸桜(しだれざくら)を賛美して、歌を詠んでいます。 大きな木の前方に「糸桜」がありました。 青苔一面の西側庭園は、樹木の根っこの形が飛龍の様で、苔を雲として表現しているとも云われています。
知足の蹲踞(ちそくのつくばい) ・水戸光圀が寄進 (実物で〜す)
お釈迦さんの遺言のお経 《禅の心》 《茶道の心》 “知足の者は、賎(いや)しと雖(い)えども、富めり 不知足(ふちそく)の者は、富めりと雖えども、賎し”
蔵六=亀の意味で、頭・尻尾・手足四本の六つを甲羅の中に隠すので、この名が付けられました。 鏡容池は、龍安寺の塔頭大珠院*の前に広がる池で、徳大寺家の山荘の遺構です。 鏡容池に衣笠山が映る 水分石
可愛らしい衣笠山*がまじかに望めました。 鏡容池に目を映すと、池面にくっきりと衣笠山が映し出されていました。 風流この上もありませんでした! 鏡容池のほぼ中央に弁天島が浮んでいました。 そして、最終場所に水分石がありました。 |
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参考文献: 交通公社の新日本ガイド15「京都」
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